何故特殊な習慣が長い期間続いたのか? という単純な興味はもちろんですが、何より惹かれてならなかったのが、一見残酷とも思える奇形した足を包んでいる、美しく愛情深く修練に富んだ、豪華な刺繍の纏足の靴でした。

纏足という行為を、人権侵害、女性虐待と位置づけたり、賛否両論様々ありますが、私も何年か前に纏足に関するドキュメンタリー番組を見るまで、ちょっと無意味で女性にとっては過酷な習慣だなと単純に思っていました。
番組の主役は80歳くらいの老婆たち。
15センチくらいの小さいな質素な靴を履き、農作業を行っている不自由な姿は、激動の現代史の犠牲者の姿にも見えたのですが、纏足をした経緯を尋ねられた時の老女の表情を見た時、私の考え方は見当はずれだったと悟った。
「 あの美しい纏足靴が履けるなら、どんな痛みも我慢しようと思った 」
子供時代を振り返り、夢見る少女のように目を輝かせて話しをする老婆。
その表情は私が子供の頃から目にしていた、着物を選ぶ女性達の顔と一緒。
沢山の友禅染や唐織、西陣を眺め、キャッキャとした高揚した声をあげて、興奮したように次々反物を巻きつける様々な年齢の女性と同じでした。
衣類を選ぶとしても多分セーターだったらあんな表情と陶酔状態にはならないだろう、それは非日常的存在であればあるほど特別で、幸せな気持ちが増すのだと思う。
昔の中国女性は刺繍ができなければ良い家にお嫁に行けないらしいから、子供の頃から徹底的に刺繍を習って技に磨きをかけたらしい。
売れ筋デザインとかコストとかそんな感覚とは無縁な、母が娘の靴を一針一針刺す、娘は将来を思い刺す姿が目に浮かぶ。
“ 蓮 ”は連続と子孫繁栄を “ 魚 ”は出世を “ 蝶 ”は永遠の命のシンボル、それぞれの願いを吉祥モチーフに託して、デザインしていったんでしょうね。
友人からお土産にもらった栞にも刺繍が・・・とにかく何にでも刺繍をするのが中国のスタイルかしら?